#24 DF 今泉 一輝

引退してから約2ヶ月が経ちました。

まずは4年間お世話になった監督、コーチ、先輩方、多大な支援をしていただいたOBの皆様、保護者の皆様、九大アイスホッケー部を支えて下さったすべての方々に深く御礼申し上げます。

活動を続けた4年間で本当にたくさんのことを経験しました。経験してきたこと、感じてきたことの一部でもここに残せると幸いです。

なぜアイスホッケーを始めたのか、この問いは活動を続ける中でアイスホッケーをしていない人からよく聞かれる質問でした。聞かれるたびに、新歓が楽しかったからとか、昔スケートを習っていたからとか(ちびっ子スケート)、団体競技をしたかったからとかありそうな答えをしていました。ですが、こういう答え方をするたびに自分でもなんか違うなあと感じていました。部活動を始めた理由というのはもっと大きな理由が必要じゃないのか、そしてそれは活動を続けていくのに足るものでないといけない、みたいなことを考えて自問自答していた気がします。ですが改めて振り返ってみると、その理由は至ってシンプルなものだったと思います。それは、先輩の試合がかっこよかったからです。パックの動きが目で追えないほど速く、ルールも知らず、何が起こっているか全く分からなかったけど、氷上を縦横無尽に滑る先輩をみて自分もあんな風に滑りたいだとか、激しいチェックを自分もしてみたいだとか、自然とそう感じていました。先輩の試合を見ていなければ今この文章を書くこともなかったと思います。一緒に新歓に行ってくれた森田、本当にありがとう。

1年生の頃、アイスホッケー部は全てが新鮮で驚きに満ちたものであったことをよく覚えています。原付も持っていない実家通いだった自分は、深夜に防具バッグを背負ってパピオまで約6キロの道のりをチャリで行き帰りしていました。今考えるととんでもないですね。よくやっていたと思います。入部したての頃はOBの中村さん、三浦さんが主にスケーティングを教えてくださいましたが、全然上手くならず、こんな調子で先輩たちのように滑れるようになるのかと不安でした。同期の中でもどんどん上手くなるやつとの差を日々感じて焦りは次第に大きくなりました。自分は元来努力することが苦手な人間でしたが(今もあまり改善はしていませんが)、活動を通して自分が一番変わったと思うのがここです。つまり、焦りを無くすためにアイスホッケーが上手くなるために本気で努力し始めたことです。行けるときはフリスケに行き、暇さえあればホッケーの動画を見て、ハンドリングをする。後ろ向きな理由で始めた努力でしたが、1つのことに対して真摯に向き合うことの大変さや大事さを学ぶことができたし、その過程で考えたことや感じたことはこれからの糧になるものだろうと思います。そんなこんなで頑張り始めた僕でしたが、同期との差は常に感じていました。当たり前ですね、みんな本気で頑張っています。1年生の頃はその差を埋めようと常に必死な1年でした、自分のプレーに関する記憶はこんな感じです。部としては新入生歓迎会、夏旅行、箱崎キャンパスでの合宿、思い出すのも大変なほど楽しい経験ができました。ですが、やはり1番記憶に残っているのは先輩の学リ、七大戦での試合でした。1年生の当時、学リ、七大戦がどんなに大事なものなのか深く理解していませんでしたが、その独特の緊張感は先輩方から伝わってきました。学リの2部での決勝戦、福工大に勝利したあの試合はこれからも一生忘れないでしょう。七大戦では、九州の外には分厚い壁があるのだと実感しました。

2年生の頃、偉大な4年生がいなくなった喪失感は大きかったです。人数的に2年生も試合に出るようになってきました。時間としては少しでしたが、実際に試合に出てみるとおもしろいほどに何もできないことに気づきました。スケーティグもパック処理も視野も何もかもが試合に出れるレベルではありませんでした。そんな中で試合に出て活躍する同期を見ると本当に悔しかった。同時に、同期が上手いことは同時に心強くもありました。チームとしてプレーする意識が芽生え始めたのもこの頃だったと思います。4月になり初めて後輩ができました。それは新鮮な感覚と共に、より一層頑張る原動力になりました。2年生の中頃、試合に出るには何か一つでも有効な技術が必要だと考えていました。スケーティングは相変わらず下手だったし、視野も狭い、そんな自分はシュート力を磨こうと考えました。こいつがパックを持てばとりあえず強いシュートが打てるだろう、そう監督に判断してもらおうと思ったからです。必死にシュート練習をしました。何度も何度も上手いシュート動画を見て、実際に陸トレでやってみて、自分の動画を確認するということを2ヶ月くらい続けました。今思えばシュートだけで試合に出してもらおうなんて安易でしたし、実際に試合に出る時間が増えたわけでもありませんでしたが、この練習のおかげでシュートの速さだけは誰にも負けないと言えるレベルまで持っていけたし、それは引退まで変わらない自分の武器になりました。

2度目の学リ、七大戦はまたも勝てず、自分も少し試合に出たことでその壁はより大きく感じました。

3年生、部活動生活の半分が経過し、同時に上級生側になりました。この年の4年生プレイヤーは3人、自分たちの代が主たる戦力となりました。1、2年生の頃は自分のプレーが上手くなって試合に出て活躍することが第一の目標でしたが、3年生はチームが勝つためにはどうすれば良いのか、自分がそのためにどう役に立つのかを目標にするようになりました。本当の意味で試合に出場し、チームとしてプレーすることの難しさを実感したことでやっとこう考えるようになりました。どうやったらチームとして勝てるのか、このことについて真剣に考えました。すると、今まで単調に感じていた練習メニューも監督、コーチが勝利という目標に向けてそのときそのときやらなければならないことばかりを組み込んで下さっていることに気づき始め、練習1つ1つに対する意識も変わりました。逆にそれまでの自分はとても情けないものでした。安易なエゴを捨て、チームの勝利にのみ執着する、そんな心構えが大事なのかなと思います。まあ、実践するのは難しいことで、実際自分が常にそんな意識でいれたかというとそうではなかったし、もっと早くからこういう意識を培っていくべきでした。そしてコロナ禍での部活動停止。どの部活動生も同じだったと思いますが、このまま部活ができなくなるんじゃないかとても不安でした。部活への意識も少し薄れていました。

部活が再開し、かなり下手になっていましたが、気にしても仕方ない、頑張るしかないと思って部活に取り組みました。そして迎えた3度目の学リ、今年こそは優勝という目標で挑んだものの蓋を開けてみればあっさりと敗退。もはや悔しいとも思えませんでした。なぜ負けたのか、もっと頑張ればよかった、なんのために部活をしてきたんだなど考えても仕方のないことをだらだらと考えていました。時間が経つにつれ来年こそはと考えられるようになりましたが、それはひとえにここまで共に頑張ってきた同期のおかげでした。

迎えた4年生、最上級生となりました。が、その実感は薄かったのを覚えています。ああ、もう最上級生になってしまった、そんな感じでした。正直なところ自分が1年生の時に見た先輩の姿はまだまだ遠いという思いが強くありました。4年生、最上級生としての部活はこれまでよりも一層責任を伴うものになりましたが、同時にとても楽しくもありました。切磋琢磨してきた同期とチームを導いていく、こんな経験はこれからできないでしょう。4年生で最も印象深いのは、1、2年生が多く入部してくれたこと、それがチームに与えた影響です。自分が入部した頃、当時の4年生、同期は共に人数が多く、自然とその頃の自分と1年生の姿を重ねてみていました。入部してくれた後輩たちは皆とても元気がよく、彼らの姿を見て初めて自分が最上級生なのだと、彼らのためにも頑張らなければならないと考えられるようになりました。この年は例年にない勝率で、チームが活気付いていくのを肌で実感していました。そして迎えた最後の学リ、そこで優勝できたことはこれ以上ない喜びでした。ですが、そのままの勢いで優勝すると意気込んでいた七大戦は結局5位という結果に終わりました。あまりにもあっけなく、ああ、終わったのかと、しばらくなんの実感もありませんでした。この結果はチームとして反省すべき点を浮かび上がらせたものでした。悔しいですが、この反省がさらなる九大の飛躍の糧となることを期待します。頑張れ、これからの九大。自分もこれからはOBとしてできる限り支援していきます。

 

ここまでだらだらと書いてきましたが、自分が経験したことの1%も書けていないでしょう。それほどまでに濃密な時間でした。OBとなり、九大アイスホッケー部を支えてくださる全ての方々の凄さを実感しています。本当にありがとうございました。自分も皆さんのようなOBとなれるようこれから九大を支えていきたく思います。また、同期のみんなのおかげでこんな経験ができました、この同期でなければ学リ優勝も果たせなかったと思います。この学年でホッケーができて本当に良かった、みんなありがとう。

 

とりとめのない文章でしたが、4年間を楽しく振り返ることができました。

末筆ながら、今後の九大アイスホッケー部の更なる躍進をお祈り申し上げます。